選手への影響力や国際的な知名度という点で、かつての名選手が連盟や協会といった競技を統括する団体の重要なポジションにつくというのは、多くの競技で行われていることと思う。
全日本柔道連盟の会長は山下泰裕氏であるし、スキーも海外ではそういうことは一般的にあるのではないか。
それが必ずしもよいこととは限らないが、SAJはこれまでどうだったのか。
皆川氏以前に、アルペンスキー・ワールドカップで第1シードになった選手が3人いる。海和俊宏氏、岡部哲也氏、木村公宣氏。現在は3氏ともスキースクールをやっていて、競技引退後にSAJで競技強化に関わったという話は見当たらなかった。
さらに遡ると、日本人唯一のアルペンスキーでの五輪及び世界選手権メダリストである猪谷千春氏は、後年、IOCの委員を経て副会長になっているが、競技引退後は外資系会社員になっていて、SAJとの接点はなかったよう。
彼らににその気がなかっただけなのか、SAJ(との関係)に何か問題でもあったのか。
日本のフリースタイルスキー黎明期を代表する一人に、角皆優人という方がいる。1979年から1986年の間に全日本フリースタイルスキー選手権を総合優勝すること7回、1986年の第1回世界選手権に出場し10位。
1987年からナショナルチームのコーチ、1990年にはヘッドコーチとなっているが、長野オリンピックの代表選考に際して、エアリアルで国内全勝の選手が選ばれなかった経緯を、告発するように書籍にしたことで連盟を追われたという。
実際何があったかは分からないが、そういう話を聞くと、「ハイブリッドスキー」の教育本部の迷走ぶりばかりでなく、競技本部も含めて「SAJってどうなの?」という気になってくる。(続く)