スノースポーツのメジャー化について考えるにあたって、身近さからかけ離れた超人的すぎる競技はメジャーになりきれないのではないか、という仮説を立てて考えてみる。
スキージャンプはそもそも超人的だし、フリースタイルもそうなりつつある。じゃあアルペンスキーは身近かというと、ダウンヒルなんて、バーンがツルツルの氷であることを知ってると特に、十分に超人的で身近に感じられない。
それをいうとフィギュアスケートもジャンプに関しては超人的といえるが、ジャンプがフィギュアの華と言われがちだけど、結局はステップの美しさや指先まで神経の行き届いた振付が観る者を惹きつけているのかもしれない。
見た目が超人的でないという点では、クロスカントリースキーは、マラソンがそうであるように見た目は至って常人的。
地味で時間が長いのは興行としては不向きのはずだが、マラソンや駅伝は人気である。その時間の長さや苦しそうなところに浪花節的な情やドラマを込めて感情移入できていいということか。
だったらクロスカントリースキーにも希望はあるはずだが、それは競歩がマラソン並みの人気種目になるくらいに想像しがたい。ではクロスカントリースキーや競歩と、マラソン・駅伝の違いは何か。
競歩の場合、「走ってはいけない」という競技の根源が問題かもしれない。歩形違反がどうとかのルールが必要となり、シンプルさが損なわれる。マラソンや駅伝は、ただ走るだけ、というそのシンプルさあってこその人気なのかもしれない。
そうなるとクロスカントリースキーは、競歩よりもマラソン・駅伝に近く、まだ人気競技となる可能性があるのかもしれない。クラシカルとフリーの2つがあることが、シンプルさとして許容範囲内であれば。
いや、超人的でなければ身近ってもんではないか。日本にもかんじきやそりはあっても、雪の上を板を履いて移動する文化は生まれなかったわけで、「速く歩く」方がまだ身近か。
スターの存在。見て楽しむことと、して楽しむこと。自分がするかどうかはともかくとして、そのスポーツを身近に感じること。テクニカルすぎず、ルールがシンプルで直観的であること。興行としての成立には、いろいろな要素が絡んでそうだ。