ザウス的屋内ゲレンデについて -3

(前回から続く)

 ザウスはスキー場全体に比べて客の目に見えての減り始めが遅かったが、最終の2002年でも客数がピークの3割減程度だったなら、減り方もスキー場全体に比べるとマシなほう。

 例えば、特殊索道(いわゆるチェアリフト)の輸送人員数は、1990~95年度が7.5~8億人の高原状態だったのが、96年度7億人、97年度5.8億人と急減し、2002年度は4.7億人弱でピークから4割ほど減っているし、長野県のスキー人口(延べ客数)はピークの2120万人から1047万人と半分以下になっている。安近短強しということか。

 結局のところ、ザウスは、5,6年は減価償却含めて黒字だったようだから、世間で思われているであろうほど大赤字の大失敗ということではなかったけど、ウィキペディアの「赤字の年度はなく、当初の予定通り閉鎖になった」という情報はやや正確さを欠いていると言える。

 実際はその中間で、トータル赤字だったのだから失敗は失敗なのだが、「バブルのあだ花」という負のイメージは、間違いではないにしても、実際以上にマイナスに思われているように思う。

 失敗の原因は、関係者には「人の季節に対する感性や人工物では味わえない自然の解放感といったものを見誤った」と総括されているよう。もちろん、事前にマーケティング調査を行って、手応えがあったから建設されているのだが、調査結果を基にライトユーザー層の来場を見込んだものの、いざオープンしてみると、いくらバブル期でも一年中滑りたがるのはヘビーユーザー層がメインで、来客は想定を下回ったという。

 まあ、バブル期がちょうどピークを迎えた1990~1991年頃に正確な将来見通しができたところなんてなかっただろうし、ザウスがオープンした1993年というと、株価も地価も落ちていたけど、急激に上がりすぎた反動による調整局面と捉えている人が多かったと思う。現に、ジュリアナがブームで、スキー客もピーク期のど真ん中だったわけで。

 当初から10年の予定だったというが、その10年で減価償却を回収できたうえでキャッシュフローも黒字なら、あるいはキャッシュフローの黒字で減価償却分を回収できる見込みがあったなら、営業を継続していただろう。

 バブル崩壊でスキー・スノボ市場全体が大幅に縮小していて、減価償却分の回収が見込めないどころかキャッシュフローの黒字維持もあやしいことから、キャッシュフロー黒字のうちに当初予定の10年の区切りで閉鎖し、跡地利用は決まっていないが、すぐに売れるようにさっさと解体して更地にした。ということだろう。(続く)