奥美濃ゲレンデの道路事情 _1

 奥美濃エリアでは、1989年にめいほう、90年にウイングヒルズ白鳥、92年にホワイトピアたかすができている。この時期にローカルゲレンデがいくつかなくなっているようだが、99年に高鷲スノーパークができて以降は、2004年に油坂スキーパーク、2011年にイトシロシャーロットタウン、2018年にしらおがなくなっただけで、今も10以上のスキー場が残っている。

 日本全体では、冬期の索道輸送人員数がピーク時の3割程度へと激しく減少し、3~4割のスキー場が姿を消す中、生存率が高いといえよう。

 その要因は、間違いなく、高速道路アクセスの向上にある。

 かつて、東海北陸道が延伸する以前は、東海圏や近畿圏から奥美濃エリアのスキー場に行くには、美濃市から北は長良川沿いに走る国道156号(とその対岸にある、時に崖っぷちを走る1.5車線道)しかなかった。バブル期の週末夕方の渋滞はひどいもので、鷲ヶ岳やダイナランドから美濃までの70kmに何時間かかったことか。

 東海北陸道が、1986年3月に各務原IC~美濃IC間が開通しただけでは極めて限定的だったが、94年3月に美並IC、96年4月に郡上八幡IC、97年11月に白鳥ICへと延伸されるにつれ、国道の渋滞は緩和していった。

 98年12月に一宮JCT名神と繋がったことで大阪方面からのアクセスが向上、99年11月に高鷲IC・荘川ICまで延伸されたところで、奥美濃エリアとしては一段落だろう。(高山最寄りの飛騨清美ICへの延伸は2000年10月、飛騨清美IC~白川郷IC間の開通で全線開通となるのは08年7月のことだが、奥美濃のスキー場としてはそこはあまり気にならない。)

 高鷲ICまで延伸された時点で、かつてを思うと夢のような状況にはなったが、それでも、その時点では片道1車線なので高速の渋滞が激しく、高速渋滞をきらう人が国道に流れてくることで、昔ほどではないが国道もそれなりに渋滞する事態が続いていた。

 特に2000年代初頭あたりは、ピーク時からは急減している最中とはいえ、まだスキー・スノボ客が今よりはかなり多かったので、めいほうからの客が合流する郡上八幡以南の区間での渋滞は結構なものだった。

 その渋滞の解消は、客数減の影響も大きいが、東海北陸道の4車線化の進展が大きい。

 4車線(片道2車線)化は、美濃ICから瓢ヶ岳PAまでが04年12月、郡上八幡ICまでが08年7月、白鳥ICまでが09年7月とここまでは順調だったが、民主党政権時代に高速道路予算見直しで計画が凍結されたことで、そこからは時間がかかった。

 

(続く)