フィギュアスケートが興行として成立するまでに成功したのは、浅田真央というスターの登場が決定的だったろうが、実力や結果だけではスターにはならない。
実力があるのはもちろんだが、五輪で金メダルを取ってないのに、というか五輪出場決定時点で既に、浅田真央があそこまでのスターになっていたのは、天真爛漫なキャラクターによるところが大きいだろう。
卓球の今の人気だって福原愛の登場があってこそであり、福原がスターになったのはあの、泣き虫で負けず嫌いで屈託のないキャラだったからだろう。
もちろん見た目も重要で、とびぬけて美しい必要はないが、あるいはあまり美形すぎるよりも、親しみを感じさせる庶民的な風貌の方がいいのかもしれない。
スターには実力+キャラが必要といっても、卓球の福原や女子フィギュアの浅田に限らず、男子フィギュアの羽生や宇野にしたって、男子テニスの松岡修三や錦織圭、女子テニスの大坂なおみにしたって、キャラは作ってできるものではなく、たまたま実力者のキャラが愛らしかったり濃かったり面白かったりした、偶然の産物。
あるいは、卓球もフィギュアスケートもテニスも個人競技で、ジュニア時代からのマンツーマンに近い英才教育がそういうある種の天然を育てるのかもしれないが。
長野五輪で里谷多英が、メダルなど全く期待されていない状況で、予選11位からのまさかの金メダル。小学6年生で全日本優勝、中1は2位だったが中2から全日本6連覇。高校生でリレハンメル五輪に出場し、長野で金、ソルトレークで銅、その後もトリノ、バンクーバーと5大会連続出場というのは相当すごい。
しかしスターどころか、長野五輪以降は上村愛子の陰に隠れっぱなしだった。
もちろん、ワールドカップ総合優勝や世界選手権優勝など、五輪の順位以外は圧倒的に上村の方が成績がいい。長野の翌シーズンにはもう上村がエースだったから、ソルトレークで上村が6位で里谷が銅というのも驚きをもってむかえられた。しかしそれにしてもというくらい、メディアの扱いは違った。フィギュアスケートにおける、浅田に対する安藤くらいに(奔放な性格のイメージといい実際に似ているかも)。(続く)