スターの条件 -2

(前回から続く)

 上村愛子はスキー界のアイドルにはなったし、オリンピックでは一般からも注目される存在ではあった。しかし女子カーリングがそうであるように、世間的には五輪イヤーだけのアイドルだったように思う。

 もし、長野五輪里谷多英でなく上村愛子がメダルを取っていたらどうだっただろう。上村は浅田真央ばりのスターになっていただろうか。CMにも出て、モーグルがもっとメジャーになってただろうか。そしてそこまで注目されても、ワールドカップ総合優勝や世界選手権優勝という結果を残せただろうか。

 スター化はともかく、強化体制について、上村のいる間に何かできなかったものか。

 福原愛の登場以降いくらかメジャー化した卓球などの通年型のスポーツはもとより、数少ないとはいえ年中使えるリンクがあるスケートに比べても、本格的な練習のできる期間が限られるスキーは、選手の裾野を広げるのが難しいのは確かだろう。

 五輪以外ではあれだけの結果を残した上村がいても(五輪の5大会連続7位以内も十分すごいが)、個人の人気を競技の人気に繋げる難しさもあるだろう。

 だからこそ連盟が、人気選手のメディアへの露出・展開を含めて戦略的に動いて、人気選手が現役の間に、言葉は悪いが人気選手で稼いで、人気選手の知名度を利用して、実力ある選手が継続的に複数出てくる育成体制を作らなければいけなかったのではないか。

 ノルディック・ジャンプ女子の高梨沙羅も、スターになる要素は十分あっただろう。何しろ圧倒的に強かったし(今も十分強い)、絶対女王として迎えたソチ五輪での失敗も、かえって「物語」になりえただろう。

 メディアの受け答えにスキのない優等生でなく、しかも急にメイクに目覚めたりせず、ちょっと抜けたところのある素朴なキャラだったなら、もっと人気になっていたかもしれない。

 テレビ番組での実家でのオフの様子では、競技の時のインタビューの受け答えとは違った柔らかい一面が出ていたから、競技メジャー化という錦の御旗のもと、トークバラエティへの出演をもっと積極的に、それこそSAJがプッシュするくらいの必要があったのかもしれない。

 いや、アスリートの場合は芸能界と違って、そういうプロデュース感が見えてしまうとスターにはならないか。

 やはり、スポーツ界のスターというものは、よほど好条件が奇跡的にそろわないことには産まれないものか。