観る競技としてのスノースポーツのメジャー化 -2

(前回から続く)

 10年ぶりの日本開催となった2016年のアルペンスキー・ワールドカップ苗場大会。1日1万円のスタンド席も1日3000円の立見席もすべて売り切れたとのことで、2日間で11,000人のギャラリーは、オーストリアのキッツビューエル、スイスのウェンゲン、フランスのバルディゼールといった名だたる開催地と変わらぬ数だったという。

 「ヨーロッパではアルペンスキーはF1、サッカーと並んで人気」というのはホンマカイナと眉唾に思っていたが、それでも日本での人気よりはずいぶん高いのだろうと思っていたから、これには驚いた。あるいは、日本でもそれだけの客が来ていたことに驚いた。

 モーグルやジャンプのワールドカップの日本開催もそのくらい来ているのだろうか。と思って調べてみたら、モーグル・ワールドカップたざわ湖大会は観戦基本無料で、180席だけの有料席で1日2500円だった。ずいぶん違う。

 アルペンスキー・ワールドカップの優勝賞金は数百万円から1千万円近くあり、トップ選手のシーズン獲得賞金は5千万円以上にもなるという。1シーズンの賞金総額は数億円以上になるだろう。それがチケット収入だけで賄われるとは思われず、相応の放映権料があるのだろう。テレビ観戦したいという需要がそれだけあるのだろう。

 大会を会場に観に来るコア層の集客ではヨーロッパと同等だとして、ではなぜ、テレビで大会を観ようという一般層の数に、日本とヨーロッパで大きな差があるのか。

 欧米でのモータースポーツの人気も、あるいは日本での野球の人気も、「文化の違い」で済ませるのは簡単だが、ではどうすれば日本でスノースポーツを観戦する文化を醸成できるのか。少なくともコア層はいるのであれば、一般層の獲得も無理ではないのではないか。

 皆川賢太郎氏は、興行化にはそれを支える土台となる文化が必要と考えている。スノースポーツを観戦する文化のないところにいくらワールドカップや世界選手権をもってきても、それだけで一般の人を巻き込むことはできないと考えている(あるいは肌で実感している)。

 観戦文化の創造とは壮大なとも思うが、文化といっても始まりは流行であって、流行が続いて定着することで文化になるということであれば、「文化の創造」とは「流行らせ続ける」ことと言える。それだってもちろん大変なことだが、「文化の創造」よりはまだ出来そうな気がする。(続く)