スキーバブル、デフレ、その終わり -1

 日本のいわゆる「バブル期(バブル経済)」というのは、一般的(経済統計的?)には1986年12月から1991年2月までの好景気期を指し、政府見解としては「好景気の雰囲気は1992年2月まで維持されていた」らしい。

 日経平均株価が史上最高値をつけた1989年末が「バブル絶頂期」として語られることが多いように感じるが、世の中の空気としては、むしろそこからがバブル的だったように思う。

 株価や国の経済状況よりも「世間の空気」の影響を大きく受けるレジャー産業の市場規模が最も大きかったのは1996年。スキー人口のピークとしてよく引用される1860万人は1993年で、索道輸送人員も冬季の最大は92/93シーズン。ただ、スキー人口も策動輸送人員も1990/91シーズンから1995/96シーズンまでの6年は大きな差はなく、その前後の期間とは大きな差があるため、スキー業界的にはこの1990/91から1995/96までの期間がバブル期だったと言えそう。

 ちなみに、レジャー白書のスノボ人口調査は1997年からで、「スキー人口+スノボ人口」では、スキー人口の減少をスノボ人口の増加が補う形で2002年まで大幅な減少は見られなかったが(ピークの10~15%減)、この頃は両方する人=重複してカウントされている数が多かった影響もあると思われる。索道輸送人員は、1995/96以降、2年で27%、2001/02には37%減っており、実感としてはこちらが近い。この頃は今以上にスノボは初心者が多かったことも、参加人口以上に索道輸送人員が減っていることに影響しているかもしれない

 スキー場数のピークは1998/99シーズンで、リフト券価格のピークはおそらく2000年前後。96年以降の客数急減を値上げでカバーしようとするところと値下げで客を呼ぼうとするところに分かれて、平均すると2000年頃まではリフト券価格は上がっていた。

 2004年以降、スキー場は年2桁のペースで減りだすのだが、リフト券価格が底を打つのが2005年頃。「値段下げても客は増えない」と見切って下げるのを止め、それで維持できないところが続々と潰れていってる時期といえる。また、底を打つといっても反転上昇するという勢いはなく、大手スキー場を中心に下げ止まったというだけで、底這い状態。

 2005年以降も、当日大人1日券は据置きでも、食事セット券やファミリー・子供料金の割引、早割券の登場などで、実際の販売単価は下がっていたと考えられる。実際、索道収入を輸送人員で割った1回あたりの単価が底を打ったのは2011/12シーズンだ。

(続く)