スノーヴァ羽島、11/30終了

 スノーヴァ羽島が11/30で営業を終了するという。これで残る通年営業屋内スキー場はスノーヴァ新横浜だけとなる。

 日本の屋内スキー場といえば、バブル期の象徴的にも語られるザウスだろうか。長さ約500m、幅約100m、高さ約80mは当時世界最大、他の日本の屋内スキー場は長さ60~120m、幅30m程度、高さ10m程度だから桁違いである。

 私が知る限り、日本に屋内スキー場は15か所存在した(同時に存在したのは2000年10月から2001年にかけてが最大で14か所)。1991年開業のスキーイングイン津田沼を皮切りに、ビッグエア福岡、93年にザウスから2000年10月のスノーヴァ足利まで、続々と開業した。

 前半は空前のスキーブームを受けてだろうが、90年代末は急激にスキー客数が減っている。それでも通常のスキー場の新規開設も2003年まで続いたように動き出した計画を止めるのは難しいのだろうし、あるいはレジャーの安近短化もあったから屋内スキー場はいけるという読みもあったのかもしれない。

 しかし、1997年に終了したスキーイングイン津田沼は事情が違うとしても(屋内スキー場システムのソフト面の研究とデモを兼ねての営業)、2001年のスノーヴァ板橋から続々と終了していく。最後にオープンしたスノーヴァ足利などは2002年6月にわずか1年8か月の営業で幕を閉じている。

 2012年にアクロス重信が終了して残り3か所になったところで落ち着いたが、昨年3月にスノーヴァ溝ノ口、今年11月にスノーヴァ羽島が終了し、残るスノーヴァ新横浜空調機器の老朽化で維持が困難になってきているようなので(減価償却が終わってランニングコストは賄えても、大きな投資をするだけの利益はでていない)、そう長くは続かないだろう。

 羽島は1998年12月オープン、溝ノ口と新横浜は1999年11月オープンと同時期であり、溝の口も羽島も終了の主要因は、客数減よりも空調機器の老朽限界の方が大きいのではないか。

 世界的には、中東産油国や中国だけでなく、ヨーロッパや北米でも屋内スキー場は増えているという。皆川賢太郎氏は「やり方次第で日本でも可能」であり、「スキー産業復活のために一年中滑れる環境が必要」と前向きだったが、昨秋のSAJ理事解任(再任されず)以降、動静は聞かれない。

 競技引退後、SAJ理事就任の前に始めた「スキー未来会議」も、SAJで競技本部長にもなって忙しくなったからか、2017年の第3回を最後に開催されていない。今のコロナ禍のなかでリモートで開催するのも難しいのかもしれないが、SAJを離れたからこそ、またこちらに力を入れて、屋内スキー場の実現も含めて動いていってほしい。

 その屋内スキー場に自分が滑りに行くかはともかく、日本でも大型屋内スキー場が持続可能であるなら、みてみたい。